いらないんなら苦労は無いぜ
ワクチンの起源をたどると、18世紀のイギリスにジェンナーと
いう医者がいてな。こいつは多分マッドサイエンティスト
だったんだろうなあ、本質的には。
ジェンナーは、牛の病気である種痘に感染した女性が天然痘に
かかりにくいことを発見した。
そこで彼はあることを思いつく。
「人為的に種痘に感染させれば、天然痘に感染しなくなるかも」
それはいい。だがそこからが問題だ。
奴は天然痘に感染したことのない子供に、種痘の膿を植え付けた。
種痘の膿によって腫れはしたが、それも数日後治った。
そして次に奴は…あろうことか天然痘の膿を植え付けやがった。
通常であれば間違いなく死ぬ。殺人罪で訴えられてもおかしくない。
…幸か不幸か奴の読みは正しかった。
ジェンナーは大博打に勝ってしまったのだ。
…絶対こいつギャンブラーだ。
「51%の勝機があれば49%のリスクがあっても立ち向かう。
それがこの私…エドワード・ジェンナーだ!」
ちなみに種痘による感染軽減は完全なものではなかったことが
現在では明らかになっている。人の命をギャンブルに使うな。
(いくら当時の孤児などの扱いが酷かったとはいえ…)
さて、マッドサイエンティストにしてギャンブル狂のジェンナーの
ことはさておき、19世紀になるとコッホなどをはじめとした細菌学者
たちが細菌に対して戦いを挑んだ。
特にコッホとその弟子達の戦いはすさまじいものだった。
コッホ…炭素菌、コレラ菌の発見。結核の研究とツベルクリン法開発
北里…ペスト菌、破傷風菌発見
ベーリング…ジフテリアの研究、血清療法
そりゃ野口英世の出番はなくなるわ。
コッホ研だけでほとんど細菌の研究終えてしまったようなもんだもん。
(もちろん他の人も頑張ったけどさ。)
野口に残ってたのは、スピロヘータや当時の顕微鏡では見ることの
出来ないウィルス。
そして野口はウィルスとの戦いに敗れ、死んでいった。
つくづく運がないよな野口。
…ロックフェラーの主任研究員なんだからそうでもないか。
話をコッホ研に戻すと、これらの細菌を元に弱毒化ワクチンの開発
などを行うことで多くの病気に勝利を収めていった。
まさに20世紀初頭は人類がはじめて細菌に勝った栄光の時代だった、
というのはいいすぎだろうか。実際これらの病気に対し、ワクチンの
投与で多くの人命が救われたのは間違いないわけだから。
電子顕微鏡が開発された1945年以降、今度は人類はウィルスに戦いを
挑むこととなった。当然のように新たなるワクチンを次々生み出した。
そして…人類はかつて人類滅亡の原因ともなりうるウィルスにして、
ギャンブラージェンナーに初めて敗北した、天然痘に最大の戦いを挑む。
…それは絶望的な戦いだった。ある男は語った。
「もし世界から天然痘が根絶できたら!そのときは車のタイヤを
食ってやる!」
WHO(世界保健機構)の職員だった男はあまりの絶望的な戦いに、
タイヤを喰らうことを賭けたという。また、ギャンブラーか…。
しかし、その絶望的な戦いに人類は勝利した。
1980年5月、WHOは天然痘撲滅を宣言し、件のもう1人のギャンブラーは
車のタイヤにかじりついたらしい。
天然痘の死者数は過去億単位にのぼったといってもいいだろう。
毒そのものの種痘療法からワクチンを経て、多くの人を救ったのだ。
種痘療法の時点では副作用も激しかったらしく、また完全に防げるもの
でもなかった。それでも、人類はそんなものに頼るしかなかった時代。
ワクチンの登場はそういったある種呪術めいた時代から、科学の
時代への変化の予感を感じさせるものだった。中身ある意味一緒だけど。